海外と日本、両方で育った私の多様性の捉え方【多様性発信プロジェクト #3】
2021年の日本のジェンダー・ギャップ指数は世界で121位、世界幸福度調査では日本56位と世界的に見ると日本をより良く変えていけるポイントは多くあるようです。今回は、日本人として生まれたけれど、日本育ちではない――海外でおもに育ち生活してきたWarisメンバーが感じている多様性をお伝えします。文化的背景や環境要因を超えて「多様性」について考えるきっかけに少しでもつながればうれしいです。
#多様性発信プロジェクト
はじめまして。
株式会社Warisの人事メンバー、篠原です。
Warisは女性3名の共同代表のもと、人材紹介・フリーランスマッチングを通じて企業の成長を支援するとともに、誰もが自分らしく働ける社会の実現に向けたさまざまな事業展開をしています。
そんなWarisから多様性を発信するプロジェクト、今回の記事のテーマは「海外と日本、両方で育った私の多様性の捉え方」です。
私は、海外で生まれ、その後も海外から日本、日本から海外と数年おきに引っ越しする生活をしてきました。
この記事では、引越しのたびに国籍という大きなカテゴリー上でのマイノリティになったりマジョリティになったりを繰り返した経験、そして自分自身が左利きであることに対する周囲からの目が住む国によって変わった経験を経て、
「多様性は受け入れる、受け入れないを誰かが決めて良いものではなく、当たり前に存在するもの」
と学んだことについて、お話させていただきます。
多様性が存在することは「当たり前」のこと
私は父親が転勤を伴う会社に勤めていたため、幼少から学生時代を終えるまで東南アジアと日本を数年おきに引っ越す生活をしていました。
また、結婚後も夫の転勤に伴い、イラン、アラブ首長国連邦ドバイ、南アフリカの三カ国で生活する機会があったりと、国境を越えた引越しの多さでは誰にも負けないかもしれません。
そんな私が「多様性」をどう捉えているかというと、
「当たり前に存在するもの」です。
日本にいると、多様性があるのか無いのか、多様性を受容するのかしないのか、という議論をよく目にします。
数の多さ・少なさはあるものの、そういった多様なバックグラウンドを持つ人々がいることが現実であり、その「現実」は確実に存在し、受容するしないを決めて良いことではないと私は考えています。多様性が存在することが「当たり前」なのです。
目に見える分かり易い多様性「日本人風の見た目」「それ以外の見た目」
日本では、日本人風の見た目が圧倒的なマジョリティであり、日本人風の見た目を持たない外国出身の方はマイノリティなのが現状です。そういう意味では、私は日本ではマジョリティに属すると言えると思います。
そんな私が、南アフリカに引っ越した時、日本人風の見た目によりマイノリティに切り替わりました。もし、多様性が存在することを現地の人々が受け入れず、私のマイノリティ性が「異質」だと認識されてしまったら、差別や排除につながっていたかもしれません。
しかし、意外なことに私は南アフリカで明らかな差別的扱いを受けたことはありませんでした。
その理由として、南アフリカは、白人と黒人のみならず、インド、中東、中国など様々な地域からの移民も多く、「自分と違う見た目の人間に慣れている」ことが少なからずあると思います。
何が言いたいかというと、自分とは違う要素を持つ人への「慣れ」は、多様性が当たり前に存在することをしっかりと理解することに繋がるということです。
日本、アメリカ、イランにおいて左利きであることとは?
私が日本においてマイノリティになる特徴の1つに、「左利き」があります。
日本にいると左利きはマイノリティ性が高く、「ぎっちょ」「左でよく文字書けるね」など何度言われたか分かりません。私が小学生の頃は、書道の授業中は左利きの児童も右手で筆を持たなければならず、「利き手の左手ならもっと上手に書けるのに」と理不尽に感じていたのを覚えています。
そんな私ですが、アメリカ東部に留学に行った時に、左利きの学生の多さにビックリしたことがあります。留学先の大学の教室では、椅子の右か左のどちらかに小さなテーブルがついていて、右利きの人は右テーブルを、左利きの人は左テーブルの席に座るのですが、大袈裟ではなく半数近くが左利き用テーブルに座っていました。左利きであることが珍しくない環境がとても新鮮でした。
その後、結婚してイランに住むことになるのですが、イランでは左利きはご法度です。
イスラム社会では左の手は不浄の手とされ、左利きはほぼ矯正されるそうです。そのため、公共の場で食事をする時は私は右手を使って食べるようにし、初対面のイラン人と握手をする際は間違っても左手を出さないよう気を遣いました。
左利きであることは、住む場所によってマイノリティになったり、マジョリティまではいかなくても「よくあること」になったり宗教上の理由でNGとなることもあり、スポーツする時にはとても重宝されたりと時と場所によって扱われ方・見られ方が大きくことなるのです。環境によってステータスが変わるというのは興味深いです。
環境によって、左利きの人の割合は多くなったり少なくなったりしますが、一つだけ言えることは、利き手の多様性は現実に存在するということです。
右利き、左利き、両利きなど、多様な利き手が存在するので、無理に矯正して存在しなかったことにはしないでほしいなと当事者としては思います。
マジョリティとマイノリティは環境によって切り替わる
今回の記事では、見た目と利き手にフォーカスして「多様性は当たり前に存在するもの」という私の多様性の捉え方についてお伝えしました。
マジョリティに属することで人は同質性の心地よさに安心するかもしれませんが、マイノリティと比べてマジョリティに属する自分たちが優れていると考えたり、自分たちの基準に合わせた判断や対応をして良い理由にはなりません。
「私は私、お互い違う部分もリスペクトしよう」と言い合えるような社会になってほしいと切に願っています。
多様性は色のようなもの?
また、私は多様性は色のようなものだと思っています。
同じ色ばかりでは、単調な絵しか描けませんが、多様な色を使ってこそカラフルで写実的な絵が描ける。よく使われる色、明るい色、暗い色、珍しい色、色にも文字通り色々ありますが、多様な色が存在することは紛れもない事実であり、それらを使わないことにはリアル(現実)の絵は描けないと考えています。
多様な色(人材)を持つ組織がなぜ強いと考えられているかというと、同一性の高い組織は同じようなアイデアしか生まれない傾向が強いですが、多様性があってこそ、色々なアイデアとそれぞれの知見が合わさって新しい未来が描けるということではないでしょうか。
フレキシブルな勤務時間、正社員に限らない契約形態、副業兼業との両立、色とりどりなライフスタイルなど、Warisには多様なメンバーが集まっています。
「自分らしい生き方を実現する人を増やすことで、希望に満ちあふれた社会をつくっていく。」というパーパスのもと、多様な働き方を社内外で推進しているWaris。
ビジョン「Live Your Life すべての人に、自分らしい人生を。」の実現に向けて、多様性✕キャリアという観点から、これからも事業活動にまい進していきます。
執筆者プロフィール
篠原未来
東南アジアで生まれ、日本と東南アジアを往復する幼少時代・学生時代を過ごす。大学卒業後、商社にて機械営業に従事したのち、配偶者の転勤に伴い離職。中東・アフリカで育児のかたわら翻訳者として活動。帰国後、第三子を出産、1歳になるタイミングでWarisにジョイン。
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