私の「多様性」との出会い【多様性発信プロジェクト #5】

Warisでは、多様性について学び・考え・視野を拡げる活動を社内で定期的に行っています。今回の発信は、メンバーが自身の成長過程を振り返り、多様性を直視するきっかけとなったこと、そのなかでどんな刺激を受け、学び考え、また将来につなげていくのか?をWarisメンバーの八木澤がまとめています。コロナが落ち着いた頃には、今までと異なる新しい世界・繋がりを積極的に求めていきたいものですね。
#多様性発信プロジェクト


株式会社Warisの八木澤です。現在、リクルーティングコンサルタントとして働いています。

Warisは人材紹介・フリーランスマッチングを通じて企業の成長を支援するとともに、誰もが自分らしく働ける社会の実現に向けたさまざまな事業を展開しています。

そんなWarisにジョインし、誰もが自分らしく働ける社会の実現のために、多様性について考えることが増えました。そこで、今日は私が多様性について考えるきっかけとなったいくつかの出来事について、お話したいと思います。

10歳で体験した日本と違う場所、人々の暮らし

私の叔父家族は、海外赴任で従兄が3歳くらいからずっとドイツに住んでいました。従兄と年齢が近かったこともあり、私は2〜3年に一回の帰国をとても楽しみにしていました。

小学校4年生の10歳の夏休み、初めての海外旅行で父とドイツを訪れました。日本人の叔父叔母の家での滞在でしたが、ドイツ人が多く住むマンションで、何もかも日本とは違っていました。見聞きしたことはあったけれど、日本で当たり前の「玄関」がない家に入り、洗濯物は外に干すのではなく、地下室に干したり、キッチンもトイレもお風呂も何もかも違っていました。

私はその違いがとても面白く、興味深く感じました。食生活、気候、交通ルール、とにかく違いを体感することを楽しんでいました。その旅行記を夏休みの自由研究にして、とても楽しく作っていたのを鮮明に覚えています。

新しいことを知る「英語」との出会い

そんな10歳の夏を経て、何となく海外に興味を持っていた私を見ていた母から、旅行の翌年にこんなことを言われました。「近くに英会話教室ができたみたい。行ってみる?」

私は「行ってみる!」と即答していました。ドイツに行ったときに、言葉の壁を感じていたため、自分でも話をしてみたいし、何を話しているのか知りたかったのです。ドイツ語ではなかったけれど、海外旅行で多くの英語を目にしていた自分として「これだ!」と思ったのでした。

アメリカ人の先生と、遊びながら英会話を学ぶような教室でした。自分よりも小さい生徒も多かったのですが、アメリカ人である先生と少しでもコミュニケーションを取れたことが嬉しく、母国語でない言葉を通じて、日本と違う世界を知ることができた時間でした。

ハロウィンやクリスマス、バレンタインなど、海外ではこういうことをしているんだ、こういう意味があるイベントなんだ、と新しいことを学び経験しながら、英語がどんどん好きになりました。

多様な個性であふれる高校

中学校でも英会話を続けて、英語で話すこと、学ぶことが好きだという思いが強くなりました。高校への進学を考えた際に、そんな思いが実現できて、面白そう!と感じる高校に出会いました。

英語の授業は週10時間以上、英語の読解、文法、リスニングなど英語のスキル向上だけでなく、ネイティブの先生が多数在籍していて、海外からの帰国子女も多く、一般的な学校とは違う雰囲気がありました。何よりも「自分で決める」が尊重されていたところに驚きました。制服も校則、始業のチャイムもないという、当時の自分には想像できない世界だったからです。

当時通っていた公立中学は、とにかく校則が厳しい学校でした。スカート丈、靴下の種類、女子の髪型は偶数結び(=二つ結び)などなど。学校として認めているものでない裏校則と言われていたルールもあり、まったく個性、自分らしさを出すことが禁じられていました。

なんとなく同質であることを求められる学校生活を経験するなか、一方で、海外旅行や英語を学びながら、違う世界があることを知り始めた自分は、その高校で体験できることにわくわくしながら、受験勉強を頑張りました。

高校生活で学んだこと

無事に念願の高校に入学でき、その3年間の経験は自分自身の根幹になっていると感じています。校則がない学校で、第2外国語を学ぶ機会もあり、さまざまな国や地域で暮らしてきた先生やそういった国に住んだことのある友人に囲まれて、多くの刺激を受けました。

高校生活で一番といっていいほど、感じ、学びそして体験したことは「個性=その人らしさを認める」ということです。どんなファッションでも髪型でも、その個性の自由に対する責任を各自が持つという前提で、先生や生徒、学校全体がそれを当たり前として受け入れていました。目に見える個性、違いだけではなく、色々な性格の人がいる、色々なバックグラウンドを持つ人がいる、そういう人々がいる世界が当たり前、という新たな価値観だったのです。

日本にいると感じにくい多様性について、きっかけを与えてくれた両親を通して、また多感な高校時代をあの学校で過ごせたことが、多様性についての学び・体感となり、今の自分につながっています。

多様な経験から「多様性」を感じる

今自分が親となり、子どもにもさまざまな機会で「多様性」について考えるきっかけを与えてあげたい、と思っています。

コロナ禍になり、実際の経験を得ることがなかなか難しくなっています。でもだからこそ、オンラインでもまずはいろいろなことを「知る」きっかけを持ち、さまざまなことを経験してもらいたいと思っています。こういった子どもの頃からのきっかけが、多様性あふれる社会を作る基盤にもなるのかな、と思っています。

執筆者プロフィール
大学卒業後、大手証券会社の総合職として、法人営業や商品開発を計8年経験。その後、外資系の金融メディアのアシスタント業務と記者業務を6年弱担う。その間に2児を出産。女性のキャリア支援を手掛けるベンチャーを経て、2021年9月にWarisにリクルーティングコンサルタントとして入社。

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