”がん患者”という多様性をもった自分を認めること、伝えること【多様性発信プロジェクト #12】

人生100年時代、健康に長く働き続けられることができればベストですが、時には病気や身近な人の介護など思いもよらぬ境遇に置かれフルスピードで走り続けることが難しい時もあります。自分自身の健康や生活を大切にしながらも、仕事を時には休み、調整する、また変化させていくといった、さまざまな働き方やキャリアの選択肢がある社会の実現を目指したいとWarisは活動しています。今回は、闘病によりキャリアを変化させつつ乗り越えたWarisメンバーの実体験を通じた「多様性」を感じて頂ければ幸いです。
#多様性発信プロジェクト


株式会社Warisの香川です。キャリアコンサルタントとして、Warisにご登録いただいた皆さんの面談などを担当しています。
Warisは、Live Your Life「すべての人に、自分らしい人生を。」というvisionのもと、人材紹介・フリーランスマッチングという事業を展開しています。
私自身もWarisと一緒に自分らしい人生を歩みたいと思い、約2年前にジョインし楽しく働いています。今回は、私の実体験から学んだ“多様性”についてお伝えしたいと思います。

違ってしまった自分

その日は突然やってきました。まさしく「晴天の霹靂」とはこういうことを指すのだと、辞書の事例に載せたいほどの衝撃的な出来事でした。
突然に、私は”がん患者”となったのです。

当時私は、新婚1年目。会社ではチームリーダーとしてやりたい仕事も任せてもらい、心身ともに充実している時期でした。
それが突然のがん宣告。そこからの私は頭はからっぽになり、先のことなど全く考えられなくなりました。ずっと公園で泣いていたことだけが記憶として残っています。

体には大した異変を感じることもなく、風邪のほうが辛いレベル。外見からは”がん”であることはわからない状態でした。ですが、自分の心は、”がん患者”なのだという、悲しみ・不安・そして恥ずかしさのような感情が溢れ、すぐには自分自身の状況・感情を受け止めきれませんでした。そして、告知から1週間、2週間と時間が経つにつれ、私の中には「私はもう周りの人と私は違ってしまったんだ、私はがん患者なんだ」と、自分で自分を特別視するマイナスな感情が芽生えていきました。

“違う自分“を受け入れる

治療のために休職する必要があったため、職場の上司や同僚にはすぐに伝えなければなりませんでした。しかし、“がん”であることをどう伝えるべきか?引かれてしまうのではないか?など、相手の反応が怖くて、顔色を伺いながら恐る恐る伝えました。
すると、状況を伝えた相手からは
「いつでも話を聞くからね。」
「仕事のことは全部忘れていいから!自分のことだけを考えてね。」
といった、私を気遣う様々な反応が返ってきました。不思議と自分の中では嫌な気持ちになることはありませんでした。

そして、上司や親友より伝えるのが辛かった相手は両親です。「迷惑をかけてごめん」という親に対する申し訳なさが溢れ、夫にフォローしてもらわなければとても一人では話せる状態ではありませんでした。
ところが、「手術して治療するしかないね。よし、じゃあおいしいご飯を食べよう」と、こちらが拍子抜けするほどのさらっとした答えが返ってきたのです。それからしばらく実家に身を寄せていましたが、両親の自然な対応もあってリラックスした毎日を過ごしていました。

「自分は”がん患者”なんだ」という思いが完全に消えることはありませんでしたが、それでも、職場の仲間、親友、両親が大げさにしすぎずありのままの状態を受け入れてくれたことで、自分で自分を特別視していた気持ちは薄れ、心は徐々に軽くなっていきました。

違う視点からみえてきた世界

病気療養中のこと、手術後しばらくは歩くことがままならず車いすを使用した時期がありました。大都市で生活をしていたのですが移動や外出先でのトイレ等には苦労しました。電車の乗り換えのたびに、エレベーターが見つけられず乗り遅れたことが何度もありました。また出先でも、バリアフリートイレがないところでのトイレにはとても苦労しました。ほかにも、“ヘルプマーク”をつけた人に対して今まで以上に目がいくようになりました。

今まで気にも留めずに自然と生活していたことが、ひとたび目線が変わるだけで同じ景色がこうも違って見えるのかと驚きました。それと同時に、いかに今までの自分は“健常者”としてのマジョリティの視点で物事を見ていたのかを痛感させられました。

私の場合、手術をする前の段階では、“がん患者”という特徴を持っていますが、周りの方からは目に見えてわかる違いではありませんでした。一方、車いすなどを使っていた時期は誰が見ても明らかに健常者との違いがわかるものだったため、「目に見える多様性」「目に見えない多様性」があるということも学びとなりました。

“がん”が教えてくれたこと

私の状態は順調に回復し仕事にも復帰をしました。仕事をする時間を短くしリハビリ勤務からスタートしていき、徐々に仕事量を増やしほぼ病気前と変わらない生活に戻ることができました。

私は、この経験を通じて物事の見方が本当に大きく変わりました。今までも、様々な形で目に触れたり、会社の研修でも多様性について習ってはきましたが、ようやく“多様性”を実体験を通じて感じ、真に向き合う気持ちが整ったと思っています。

もちろん、その立場にならなければ完全に理解することは難しいですが、それでも相手を知ろう/理解しようと努力すること、それは以前よりもずいぶん出来ている気がします。
一方で、まだ“病気”に対する偏見があるのも事実です。病気になることで、会社から不当に扱われたり腫物扱いされるなど、そういう話も耳にします。こうした病気と就労の両立については、誰もがその立場になる可能性があるものとして企業や社会全体で取り組まなければならないことだと思います。

クリアにするべき課題はたくさんありますが、まずは一人一人が様々な価値観・違い・立場などをお互いに知ろうと歩み寄ることが大切であり、その積み重ねが社会全体を変えていくのだと、今は心からそう感じています。

執筆者プロフィール
香川早紀
製薬会社の営業としてキャリアをスタートし、その後新人教育やキャリア研修等に携わる。そのタイミングで病気に罹患。仕事復帰後は、興味のあったキャリアコンサルタントの資格を取得し人材系企業への転職を経験。病気の実体験から、“私らしく働きたい”と思い、2019年11月にWarisにジョイン。

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